VIRGIN BMW | 佐々木 正嗣(ササキスポーツクラブ 代表) インタビュー

佐々木 正嗣(ササキスポーツクラブ 代表)

  • 掲載日/2007年11月16日【インタビュー】
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BMWの持つ奥深い楽しさ
それをね。伝えたいんですよ

三重県は鈴鹿サーキットにあるBMWディーラー「モトラッド鈴鹿」。ササキスポーツクラブという名前の方が親しみ深いかもしれない。正規ディーラーであり、オリジナルパーツの開発までを手がける高名なショップだ。ショップでありながらメーカーでもある。ここにはいったいどんなストーリーがあるのか、私は以前から気になっていた。断片的な話を聞いているとササキスポーツクラブの代表、佐々木氏にどうしても話を聞いてみたくなり、インタビュー取材を行うこととなった。イチバイク乗りとしても非常に面白い経歴を持つ佐々木氏の話を伺っていると、BMWの魅力の一端をも知ることができた。

日本のバイクレースの創成期
間近にそれを体験できました

ー佐々木さんは小学生の頃からバイク好きだったとお聞きしましたが、ご両親の影響でしょうか。

佐々木●両親はまったくバイクに興味はなかったですね。父親の親しい友人にバイクの販売店の人がいたんです。ほとんど親戚付き合いのような関係でしたから、お店に遊びに行ってバイクを見せてもらったり、取引のあったヤマハの工場見学に連れていってもらったり、とバイクに触れる環境に恵まれていたんです。ヤマハの工場見学の帰りには、浜松にあったオートレース場に立ち寄ってもらって、そこで見たバイクの走り、排気音、オイルの焼ける匂いは未だに記憶に残っていますね。あれが私をバイク好きにした原点だったかもしれません。

ー初めてバイクに乗ったのは?

佐々木●中学生になってすぐの頃でしたね。販売店をやっている方が「これ、好きに乗っていいぞ」と60ccのバイクを貸してくれました。もちろん免許はないので近くを走る程度でしたけれど、それでも初めてのバイクですから楽しかったですね。14歳になってからはちゃんと警察で許可証をもらい、堂々とバイクに乗るようになりました。

ー許可証とは?

佐々木●当時は警察で届出さえすれば、14歳以上なら誰でも小排気量のバイクに乗ることができたんです。同じように許可証をもらった友達が何人かいて、まだ舗装路の少なかった鈴鹿峠を走って滋賀県の方まで走るなど、あの年齢の子供にすれば遠くまでツーリングに出かけていました。バイクの面白さを教えてもらったのは普通の人よりかなり早かったかもしれません。

ーバイクレースの草分け「浅間火山レース」も群馬まで見に行ったんですよね。まさか、バイクで?

佐々木●最後のレースでしたから1959年ですね。バイクで自走じゃないですよ。本当は250ccのバイクに乗っていた先輩に連れて行ってもらうつもりだったんですが「二人乗りで群馬まで走るのは嫌だ」と断られましてね。当時の道路状況なら確かにそうでしょう(笑)。ですから夜行列車で群馬まで向かい、駅から現地まではバイクで拾ってもらいました。たくさんの観客が見に来ていて、今のレースとはまた違う不思議な熱気を感じました。今思うと、あの場にいることができたのは貴重な経験です。

ーアマチュアレーサーを目指すことになったきっかけの1つですね。

佐々木●そうですね。そのあと昔の「クラブマンレース」に出たくて、123ccの「YA-1」というYAMAHAのバイク手に入れて真剣に練習をはじめました。でも、練習中に運転ミスで川に飛び込んで怪我をして、クラブマンレースを走ることは適いませんでした。

ーそれでも懲りずに走り続けた、と(笑)。

佐々木●懲りませんでした。1962年に鈴鹿サーキットが完成すると、自宅から近かったですからサーキットライセンスを取り、週末には練習走行をするようになっていましたから(笑)。レーサーで使われていたYAMAHAの「TD-1」というバイクを中古で手に入れて、ロードレースに出ることを今度は考え始めていたんです。ただ、サーキットでの練習走行では本物のレーサーの走りを間近に見る機会が多く、自分がいかに遅いのかを思い知らされましたね。それまでもレーサーが走る姿を見たことはあり、どう走るのか、何となく理解したつもりではいました。でも、実際に真似をしようとコースを辿ろうとしても真似できない。コース取りからブレーキのタイミングまで少しずつ学んでいきました。お手本がすぐ近くにあったので、今思うと最高の練習環境があったんだと思います。

ーその後、ロードレースに出るまでは順調でしたか?

佐々木●そう簡単に出られるわけはありませんから、モトクロスのレースに出るなどコツコツと経験を積んでいきました。ロードレースに出走したのは、鈴鹿で開催された「18時間耐久レース」が最初。メーカーのチームではなく、仲間を3人集め、ショップにサポートしてもらってのチームでした。今は8時間耐久ですが、最初の耐久レースは18時間、翌年は24時間と長時間のレースだったんです。体力的なことよりも、集中し過ぎるからか、目から疲れてくるんですよ。右も左もわからない状況で、自分たちのペースで走り抜き、結果としてクラス4位、総合5位という成績を収めることができました。18時間耐久レースを機にYAMAHAから声がかかり、念願のロードレースにも50ccと250ccのクラスに参戦できました。50ccは予選2位、本番3位という成績、250ccは予選ではポールポジションで本番はマシントラブルでリタイヤでしたが、滑り出しは上々でしたね。ただ、翌年の24時間耐久レースの練習中に怪我をしまして、レーサーの道は諦めることになったんです。

パーツ製作はお客さんの要望から
1つずつ応えていった結果です

ー次に選んだ道はバイクショップの経営だった、と。22歳でお店をオープンとは…お若いですね。

佐々木●レーサーの道は断念したものの「自分がチームを作り、若いレーサーを育てていきたい」という思いがあったんです。そのためにはバイクショップを始める必要がありました。幸い、昔から自分のバイクは自分で触っていましたし、高校を卒業してからは車のディーラーでメカニックをやっていて、整備技術を学べる環境に身をおいていたんです。ちょうどその頃ですね、初めてBMWに触れたのは。速く走ることにはそれなりに自信を持っていたとき、ツーリング中にBMWに音もなく抜かれたんです。以前から「BMWは名車だ」という話は聞いていましたから、それなら乗ってみよう、と中古のR60を手に入れたんです。

ー初めて体験するBMWの印象はいかがでしたか。

佐々木●そう距離を走らないうちに手放してしまいましたけれど、当時の他メーカーのバイクとは比べ物にならない作り込みの丁寧さやツーリングのときの思い出が印象的でしたね。よく走りに行くロングツーリングコースがあったのですが、そこは一度走りに行くと当分はもう行きたくないくらい疲れるコースで、でもR60で走ったときは景色を楽しんだり、のんびり休憩をしたりできる余裕を持って走ることができたんです。辛いコースを走って「また来たいな」と思わせてくれるバイク、ごく普通に長距離を走らせてくれるバイクだというのを知り、BMWが名車だと言われる所以が少しわかった気がしました。

ー佐々木さんがBMWを扱うことになったきっかけは?

佐々木●もともとウチはチームを持ったり、早い時期に認証工場資格を取ったりしていたこともあって、大型バイクを中心に販売していたんです。そのためお客さんから国産バイクだけではなく、輸入車のオーダーを受けることも珍しくありませんでした。BMWをはじめ、いろいろな輸入車を扱っていましたね。BMWは1980年から扱いはじめましたから…ディーラーではない時期を含めると、もう30年近くBMWと付き合っていることになります。当時、中部地方は車もバイクも1つの会社がBMWのディーラーをやっていたんですが、車は車、バイクはバイクとディーラーを分けることになりましてね。以前から実績のあったウチが声をかけてもらって、正規ディーラーになることができたんです。

ーただ、三重県、特に鈴鹿周辺はHonda系の企業が多い街ですよね。BMWディーラーとしてやっていくのは大変だったのでは。

佐々木●ディーラーになる直前、三重県のBMWの登録台数は年間数台。それもほとんどウチから出ている車両でした。だから「BMWが欲しいんだけど」と声がかかれば、三重だけではなく愛知や静岡、北陸の方まで、遠くまで足を運んでいましたよ(笑)。当時の中部はウチ以外にディーラーがほとんどなかく、遠くのお客さんもたくさんお世話をさせていただきました。

ー北陸! それは大変ですね…。

佐々木●あまり苦になりませんでしたよ。普通だったら知り合ったり、お付き合いする機会のなかったりするような方との出会いがありましたからね。BMWのバイクとしてだけではない魅力も感じることができる機会でした。

ーそれでBMWにさらにのめり込んでいったわけですね。カスタムパーツ製作を始めたのもBMWに傾倒し始めたからでしょうか。

佐々木●最初、BMWはノーマルで乗るものだと思っていました。でもKモデルが出た当時、自分が乗るときに足つきが良くなくて。サスを加工して車高を下げようと思ったのがきっかけでした。サーキットが近い土地柄、そういう加工をしてくれる会社はたくさんありますからね。自分のためにやってみたら、他のお客さんからもオーダーが来るようになったんです。そうしたら、お客さんから「ハンドルポジションが遠い」という相談も受け、ハンドルを手元に近づけるパーツを作ることになりました。1個作るのも20個作るのも値段は大して変わらないのでまとまった数を製作したら、他のショップからも問い合わせが入る。そんな経緯からカスタムパーツを製作するようになったんです。自分やお客さんに合ったポジションに合わせるためのパーツ製作がスタートでした。

ー今は、オリジナルマフラーも手がけられていますね。

佐々木●これもお客さんからのオーダーがきっかけでした。「海外からマフラーを取って、交換して」というオーダーを受け、試しに取り寄せてみると作りが雑なモノだったんです。走っていると消音材がすぐに飛んでしまうほどでした。知り合いのメーカーにマフラーを持ち込んでバラしてみると、中身はやっぱりよろしくなくて(笑)。いちいち中身を入れ替えてマトモなものにするのなら、自分たちで作った方が早いな、と。三重には技術のあるパーツメーカーがたくさんありますから。結果、アールズギアの樋渡さんが協力してくれることになり、マフラーの開発をはじめました。品質や性能はもちろんのこと、BMW用のマフラーですから上品な音でないといけません。パフォーマンスだけを重視した製品が受け入れられる世界ではないので、最初のマフラーの開発には1年近くかかりました。

ー最近は音量規制や排ガス規制などもあります。それについてはいかがでしょう。

佐々木●BMWだけではなく、バイクは大人の趣味ですから守るべきところは守って楽しまないといけません。ですから、車検対応のモノを製作しています。これがなかなか難しいんですけれど(笑)。

ー自分色に愛車を染め上げるのもバイクの楽しみですから…楽しみを提供する側は大変ですね。

佐々木●昔のBMWは価格的なモノもあり、若い人の乗り物ではありませんでしたけれど、最近はF800シリーズやGシリーズなど若い人も目を向けてくれるラインナップが増えてきています。メーカーがそういった努力をしてくれている中で、私たちが提案できるBMWの楽しみ方とは、私ができることとは…と考えるとBMWをカスタムする楽しみが1つの回答でした。BMWを楽しむお客さんに、ポジション、機能、スタイルなどいろいろな面から楽しみを提供していきたいと思います。

ー最近のBMWはツアラー色だけではなく、スポーツ色の強いモデルに力を入れています。これはレーサー出身の佐々木さんにとっては提案しがいのある得意分野なのでは?

佐々木●自分の得意分野であるスポーツが、BMWのラインナップに増えてきたのは面白いですね。ただ、レースはどっぷり浸かってしまうと際限なく時間がかかってしまいますから、レースに参戦はしません(笑)。その周辺のパーツ開発をサポートしたり、一般の人が公道で楽しめる範囲でのスポーツを提供したりしていきたいです。でも昔のBMWもスポーツが楽しめるバイクなんですよ。しかもBMWというバイクはベテランの人だけしか楽しめないバイクではありません。一般の人でもそこそこスポーツ走行が楽しめるような、乗り手をカバーしてくれる性能を常に有しています。“スポーツ”の名を冠するモデル以外でもそうです。私がBMWに惹かれてきたのはBMWが伝統的に持っている、隠されたスポーツ性の高さもあるんですよ。

ー最後に、佐々木さんはBMWが今後、どのように進化をして欲しいと思っていますか?

佐々木●エンデューロはもっとエンデューロ色を、スポーツはもっとスポーツ色を、各ジャンルのマシンがもっとそのカラーを強めていって欲しいですね。実際に“S”を冠するモデルやHP2、Gシリーズなどそのようにラインナップが増えていっています。BMWを知らない人には、そういったキャラクターの強いモデルからBMWの魅力を感じていただいて、最終的にはトータルバランスが高い、奥が深いモデルの魅力も堪能して欲しいと思います。しっかりとBMWを知っていただければ、若い年齢でBMWに乗り始めても、一生かけて楽しみ尽くせないバイクですよ、BMWは。

Motorrad Suzuka

  • 住所/三重県鈴鹿市稲生西3-9-35
  • 電話/059-386-3700
  • 営業/10:00~19:00
  • 定休/月曜(祝日の場合は翌日)
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プロフィール
佐々木 正嗣
62歳。有限会社ササキスポーツクラブ 代表。小学生の頃に見たオートレースに衝撃を受け、バイクに目覚める。その後18時間耐久レースで好成績を残し、ササキスポーツクラブを創業、BMWの販売だけではなくオリジナルパーツの開発も手がけている。

Interviewer Column

モトラッド鈴鹿は非常に恵まれた環境にあるショップだ。鈴鹿サーキットにほど近い場所にあり、少し足を伸ばせば鈴鹿峠が、奈良や和歌山などツーリングに適した場所にも困らない。スポーツからツーリングまで、バイクの醍醐味のすべてを身近に味わうことができる環境が揃っているのだ。佐々木氏が正規ディーラーになる前は、三重県はBMWがあまり走っていない地域だったというが、これほどBMWに適した地域はないだろう。BMWの持つポテンシャルを高く引き出せる環境、ここだったからこそ、佐々木氏はバイクにどっぷり浸かることができ、BMWに出会い、BMWのさらなる楽しみを提供することができたのかもしれない。取材の帰りは少し遠回りをして三重周辺の快走路を満喫しながら、そんなことを思った。(ターミー)

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