新里 克一(Moto Sound)
- 掲載日/2008年12月10日【インタビュー】
南国沖縄唯一のBMWディーラー
機会があれば是非遊びにきてください
一日で何百kmも走ることができるツーリングバイク、BMWをそのようなイメージで見る人は多いだろう。乗り手に疲れを感じさせないカウルや積載性に優れるパニアケースなど、そこにBMWの魅力を感じるユーザーは多い。しかし、そんなイメージは沖縄という島のイメージとは重ならない。沖縄本島は1周しても500kmもなく、ツアラーとしてのBMWの魅力は沖縄では必要ないのではと、以前から思っていた。仮にそうだとすると、沖縄のBMWユーザーはBMWのどこに魅力を感じているのだろうか、その疑問を解決するために沖縄県唯一のBMWディーラー「モトサウンド」を訪れることにした。沖縄県のバイクライフにはじまり、沖縄でのBMWの楽しみ方を知ろうと思った取材だったが…新里社長の異色な人生経験が面白く、他のインタビューとはややカラーの違うインタビューとなった。
沖縄を離れ見聞を広めたい
そう思いアメリカにも住んでいました
新里●学生の頃に一番仲が良かった友人の家がスクラップ屋を経営していたんです。そこでスクラップになったバイクをもらい、見よう見まねで修理をしたのが最初にバイクに触れたきっかけでしたね。
新里●機械を触るのが好きだったんですよ。2サイクルエンジンは構造がシンプルなので、修理するのは簡単でしたしね。そんなことをやっているうちにバイクを触るのが面白くなり、高校1年生のときにバイクショップでアルバイトを始めたんです。
新里●アルバイトをしたショップのオーナーは、僕がバイクの免許を取りに行っていたときに教習所の送迎バスを運転していた人だったんです。たまたま、ウチの近所でバイクショップを始めようとしていて、顔見知りだったので出入りするウチにアルバイトでメカニックをするようになっていました。高校2年生の頃にはもうお客さんのバイクのオーバーホールを手がけるなど、いい経験をさせてもらったと思います。バイクショップに勤めていたおかげで、高校生なのにナナハンバイクで通学もできました。僕が高校生だった当時はバイク通学が許されていて、校内までバイクを乗りつけても大丈夫だったんです。
新里●最近は走る場所が無くなってきましたが、当時の沖縄はモトクロスが盛んでした。月に2回、那覇と嘉手納のアメリカ軍の基地の中でレースが行われていて、基地の軍人と一緒にレースをしていました。基地の中は設備も素晴らしく、レースの日に基地に入れるのが楽しみでしたね。
新里●そのときは単にバイクを楽しんでいただけで、将来自分がメカニックやバイクショップをやるなんて考えていませんでした。実際、高校を卒業して最初に就職したのは自衛隊でしたし。
新里●沖縄の外に出てみたかったんですよ。一番手っ取り早いのが自衛隊への入隊だったわけです。それほど長くは居ませんでしたけれど。
新里●海上自衛隊に入隊したのですが、航空隊に入隊希望を出していたのに1年間の訓練期間が終わると横須賀の艦船への配属になりました。それで「船には乗りたくない」と、慌てて辞めたんですよ。せっかく沖縄以外の場所を見たくて県外に出たのに、船に閉じ込められて仕事するのは嫌でしたからね(笑)。
新里●まだ沖縄には帰りたくなかったので、自衛隊で最後に配属されていた横須賀から、東京の整備士専門学校に入学しました。1年生は何もすることがなくて、授業中はほとんど寝ていましたけれど。
新里●あちこち走りに行っていましたよ。スズキのGS750に乗っていたのですが、「高速を使わずに1日1000kmを走れるか」なんてチャレンジを真冬にやったこともあります。専門学校に行きながら、学校が終わったら金型屋でアルバイトをしてハードに働いていましたが、時間を見つけてはそんな無茶も楽しんでいました。
新里●卒業してしばらくはアルバイトしていた金型屋に勤めていたのですが、アメリカに渡っていた友人から「カリフォルニアでレストランをやるから手伝いに来てくれないか」と誘われ、妻を連れて渡米したんです。
新里●金型屋に勤めていたときに、妻との新婚旅行でアメリカに行ったことがあったんです。そのレストランを手伝うことになった友人から車を借りて、1ヶ月ほどあちこちを旅して、どんな国なのかある程度わかっていました。英語は学生の頃から得意だったので、言葉の不安もそれほどなかったですね。
新里●コックをやっていました。正式に料理を学んだことはなかったんですが、小さい頃にボーイスカウトをやっていた経験で何とかなりました(笑)。レストランの仕事が落ち着いたら、現地でバイクを手に入れ走ってみたかったんですが、仕事が忙しすぎて結局アメリカでバイクに乗る機会はなかったですね。モトクロレースは時々見に行きましたが。
新里●僕は2~3年いるつもりだったんですが、妻がアメリカの生活に馴染めず、1年ほどで日本に戻ることになってしまいました。また東京に戻る気にもなれず、長男で家を継ぐ必要もあったので、沖縄に戻ってくることにしたんです。それが26か27歳の頃でした。
7月、8月はオフシーズン
暑くて乗れたもんじゃありません
新里●整備士免許や危険物取扱者資格を持っていたので、職安に行くとガソリンスタンドの仕事を紹介され、1年ほど店長をしていました。これがかなりハードな仕事だったんですよ。朝6時から夜中0時までが営業時間だったんですが、資格を持つ僕が立ち会わないといけない仕事が多くて、土日や休みもない仕事でした。「この仕事はずっとやっていられないなぁ」と思い、自分でバイクショップを始めることにしたんです。
新里●高校のときにアルバイトしていたショップのオーナーが僕を認めてくれていて、いろいろ協力してくれました。それで1985年にモトサウンドをオープンすることがでたんです。
新里●沖縄は年中暑いのに、みんな革つなぎをきて走り回っていましたね。沖縄北部の東海岸にワインディングが続く道があって、僕もお客さんを連れて年中走りに行きました。
新里●7月8月はオフシーズンです。日中なんて暑くてとても乗れたものなじゃなく、夜でも暑くて真夏にバイクに乗る人はあまりいませんね。沖縄以外のバイクショップは冬にお客さんが減るようですが、沖縄はその逆。秋~春がオンシーズンで真夏は暇なんですよ。バイクは売れないし、修理も入ってこない(笑)。
新里●高校生のときのバイク仲間が関東のBMWディーラーでメカニックをしていて、BMWジャパンが沖縄でディーラーを探していたときに僕の話が出たんです。それがきっかけでした。最初はアメリカ軍基地のバイク乗りにBMWを販売する「ミリタリーセールス」をするためにディーラーを探していたみたいなんですが、基地内のバイクショップと話がまとまらず、結局その話は流れてしまいました。でも、せっかく計画が進んだのだからとBMWも扱うことにしたんです。
新里●BMWを扱いはじめると、それ以外の輸入車に乗っているオーナーが「DUCATIも取り扱えますか…」みたいに訪ねてくるようになって、それで扱うバイクが増えたんですよ。ハーレーは他にディーラーがありますけれど、それ以外の輸入車は自然とウチが扱うようになりました。
新里●大きなモデルよりR1200RやFシリーズのようなコンパクトなBMWが人気ですね。沖縄本島は日帰りでどこへでも走りに行くことができるので、積載性の良さはそれほど重要視されないんです。
新里●沖縄の路面はアスファルトが滑りやすいんです。だから大きくて重いバイクだと、県外から来て沖縄の道に慣れていない人にはちょっと危ない。そういう理由で、沖縄のレンタルバイクはスクーターが中心なんですよ。もちろん、フェリーで沖縄まで愛車を運ぶことは可能で、県外の人も沖縄ツーリングを楽しむことはできますが、くれぐれもこの路面の違いには気をつけて運転してくださいね。あと、ツーリングをするなら真夏以外の方がツーリングには適しているので、いわゆるオフシーズンがオススメです。
モトサウンド 泊ショールーム
Interviewer Column
ゆったりとした時間が流れる南国、私の沖縄のイメージはこうだった。新里さんも予想に違わず、いい意味でイメージ通りの人。せかせかとした雰囲気はなく、自然体で働いているように見受けられた。私はいろんな地域のBMWディーラーのスタッフと親交があるが、これほど雰囲気のいい、話やすい人はあまりいない。南国の風土で生まれ育つと、これほど親しみやすい性格になるのだろうか。のんびりとした話し振りの新里さんではあるが、これまで経験してきた仕事の幅広さは予想外だった。自衛隊~アメリカでのコック経験まで、話を聞いていると羨ましくなるほどいろんな世界を見てきている。取材かどうかに関わらず、時間を気にせずにもっと話を聞いてみたくなる魅力的な人だ。一緒にお酒を飲みながら、また話を聞かせてください。(ターミー)
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