伊藤 静男(R100RS, R80ST)
- 掲載日/2008年01月17日【インタビュー】
気がつけばバイク歴52年
自然と時間が経ってしまいましたね
2年ほど前だろうか、同年代のバイク乗りから「面白いBMW乗りがいるよ」と紹介されたのが“静じい”こと伊藤さん。日本のバイク黎明期からバイクに乗り始め、一度もバイクを降りることなく現役で走り続けている。70代でもバイクに乗っている人は少ないだろうけれど、いないことはない。ただし、大型バイクを転がしながら、トライアルレースに現役で出場している人となると…伊藤さん以外にはいないのではないだろうか。日本のバイクの歴史をリアルタイムに見続けてきた伊藤さんに、バイクとの馴れ初めからBMWの魅力まで話をお聞きしてきた。生涯現役のバイク乗りでいる、その秘訣はどこにあるのだろうか。
進駐軍の基地でドラッグレース
誰もが参加できるイベントでした
伊藤●自分のバイクを初めて手に入れたのが1956年。それ以前も先輩や友達からバイクを借りるために軽二輪免許(今の小型二輪免許)は持っていました。
伊藤●山内輪業というメーカーの「シルバースター」という200ccのバイクです。聞いたことがないメーカーだと思いますが、50年代は無数にバイクメーカーがあった時代です。私の住んでいた名古屋周辺でも70近いメーカーがあったそうですよ。バイクメーカーが今の4メーカーに集約される前の時代でした。数多くメーカーがあったとは言え「エンジンメーカーからエンジンの供給を受け、他の部品も各専門メーカーから購入して組み立てる」そんなやり方をしているアッセンブリメーカーがほとんどでした。
伊藤●シルバースターは中古車で5万5000円でした。当時の平均初任給が5000円の時代ですから、今の価値でいうと200万円くらいでしょうか。私は別にお金持ちでもなく、普通のサラリーマンでしたから月賦、今でいうローンで無理をして購入しました。
伊藤●当時はもう結婚していたのですが、妻が「バイクの後ろに乗りたい」と言い出したのがきっかけでした。まだ若かったのですが、夜勤の仕事が多く月賦であれば手に入れられないことはなかったんですよ。
伊藤●当時は車通勤なんて珍しい時代でしたから、通勤はバイク。同じ会社にバイク好きもいたので、夜勤明けに仲間と連れ立ってどこかへ走りにいっていました。それが高じて会社のバイク好きの仲間を集め、バイクのクラブなんかも作って雑誌に紹介されたこともありましたね。
伊藤●マイカーがまだ一般的ではなかった頃、バイクは実用車として使われていましたが、50年代の終わりになるとミゼットなど軽三輪の車が登場し、バイクは趣味の乗り物としてのカラーが強くなっていましたね。浅間火山レースなど一般のバイク乗りが参加できるレースがスタートしたのも50年代後半で、バイク業界は盛り上がりを見せていました。
伊藤●サーキットができるのはもう少し先、鈴鹿サーキットができたのが63年ですからね。進駐軍の飛行場で行われていたドラッグレースくらいしか思いっきり走ることができる場所はありませんでした。
伊藤●今の小牧市に進駐軍の基地があったんです。日曜日は飛行機を飛ばさないので滑走路を使ってドラッグレースが行われていてね。基地の人間対日本人で競い合って走っていましたよ。兵隊さんから「○月×日にレースをやるぞ」と連絡が来たら、電話や手紙で周りの仲間に日時を連絡する、開催日には結構な台数が集まっていましたね。
伊藤●兵隊さんはBSAやトライアンフなど、私たちが乗りたくても乗れないバイクに乗っていました。チューニングパーツなんかも本国に注文すれば軍用機で運んできてもらえる、羨ましかったですね。ただ軽排気量のバイクは彼らも私たちと同じ日本製のバイクに乗っていたので、体格の違いから小柄な日本人の方がスピードが伸びるんですよ。250cc以下で走るなら日本人の方が速かった記憶がありますね。
伊藤●60年代も後半になるとそれほどバイクに乗れなくなってきました。モトクロスを始めたり、耐久レースに個人で出走したりもしていましたが、仕事がかなり忙しくなってきて時間が取れなくなってきたんですよ。家族サービスの時間もありましたしね(笑)。
定年後に火がついたバイク熱
まだまだ現役で走りたい
伊藤●自宅を建てて、少し余裕ができたのでバイク仲間とバイクラリーを走りはじめたのがきっかけですね。決められたコースにポイントをいくつか用意し、各ポイントをどのくらいの時間で抜けられるのか、公道レースみたいなものですね(笑)。その中でいつも好成績を残していたのが先輩の乗るBMWだったんです。特別速そうには見えないんですが、速い。それでBMWが気になりはじめました。
伊藤●先輩から安く譲ってもらった「R75/5」です。それ以前に友達からR69Sを借りて乗ったことがあったので、BMWがどんなバイクなのかはおおよそ知っていました。「グッ、グッと2回ハンドルを切らないと曲がらないバイクだなぁ」という印象でしたね。水平対向のボクサーエンジンやシャフトドライブの癖を嫌う人もいましたが、私は別に峠を攻めるわけでもなく、そこは気になりませんでした。そこからBMWとは縁ができ、70年代はR75/5に始まって、R90S、ツインショックのR100RSと乗り継ぎました。最後のR100RSだけはうまく乗りこなせず、そこでBMWからしばらく離れてしまったんですけれど。
伊藤●当時一緒に走っていた人たちはレーサー上がりの人が多く、彼らのペースについていけなかったんです。R100RSのせいではなく、周りのレベルが高いのと私の腕の問題だったのでしょうね。80年代に入ったあたりから、また仕事が忙しくなってきて。中型のバイクには乗り続けていましたがBMWなどの大型バイクからはしばらく離れることになりました。またバイクに乗る時間が取れるようになるのは1994年、定年後のことですね。
伊藤●定年したときに職場の同僚から餞別金をもらったんですよ。そのお金と妻からもらったお金でR100Rを手に入れて、また本腰を入れてバイクを楽しむようになりました。バイクに乗る時間はいくらでもありましたから、若い頃に憧れたバイクや、気になるバイクに手を出すようになってしまいました。
伊藤●バイクを手に入れるときも、手放すときも仲間内でやりとりすることが多く、思ったほどお金はかかっていない…と、思いますよ。遣ってしまったお金は考えないようにしています(笑)。
伊藤●F650は面白いバイクでした。扱いやすく、楽しいバイクでしたね。ただR1150Rは私には合いませんでした。大柄でハンドリングが重いのと、ブレーキの効きが強すぎるのがしっくりこなかったんですよ。指一本でそっとブレーキをかけても強くブレーキがかかる、そこに違和感を感じました。気軽に履けるスニーカーのような乗り心地を期待して手に入れたのがR1150Rでしたが、もう少し待ってR1200GSなんかに乗っていたら現行モデルも所有していたかもしれません。
伊藤●今はスニーカー代わり、気楽に乗れるバイクとしてR80STも持っていますが、R1200GSはそれに近い気軽さを感じました。あのバイクなら力も体力も衰えてきた今でも乗れる気がします。
伊藤●ああいう道は二度と走りたくないですね。実は一度アウトバーンで車にはねられているんですよ(笑)。BMWでアウトバーンを走っていたときに、後ろからメルセデスがガツーンと。乗ったまま3mぐらい飛ばされたものの、転倒はせずに済みました。若い頃からモトクロスやトライアルをやってなかったら、あのまま転倒して死んでしまっていたでしょう。それ以来ヨーロッパには走りにいきたいとは思いません。仲間とアラスカを何度か走っていますが、アラスカの方が楽しいですね。
伊藤●今は少しバイクをお休み中です。昨年にトライアルをやっていて2度転倒し、2度骨を折りました。今は骨をチタンプレートで補強して治しているところ。早く治してまた走りたいんですけれどね…。周りの同年代の仲間もまだまだ元気に走っていますから、私も負けていられません。
Interviewer Column
伊藤さんの自宅ガレージにはBMWが2台、トライアンフが1台、トライアルマシンが1台、どれも現役で走るバイクだ。70を過ぎてここまで元気に走れるものなのか…。伊藤さんの元気さはブログを見ればすぐにわかる。周りのバイク仲間にも元気な人が多く登場していて、さらに驚かされる。一口に70代と言っても何か楽しみを持っている人は若いものだ。同じバイク乗りとして20代、30代の人とも気楽に交流しているのも若さの秘訣なのか…。私が70代を迎えるまであと40年。願わくば伊藤さんのような現役で人生を楽しむ人でいたいものだ。(ターミー)。
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小久保 宏登(コクボモータース 店長)
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