第13回 ウズベキスタンを走る
- 掲載日/2008年01月17日【ユーラシア大陸横断】
- コラムニスト/Erik Andreas Jorn
砂漠地帯での羊飼いとの出会い
自宅で朝食をご馳走になりました
いい出会いがたくさんあり、これまで知らなかった旧共産圏の歴史を知ることができたドゥシャンベを出発し、ウズベキスタンとの国境に向かいます。ドゥシャンベから国境まではほんの70km。すぐに着いてしまいました。この日は休日だったため国境はガラガラ。人も少なく、ここの国境の検査はかなり厳しいため、荷物検査に何時間も時間を取られました。これまで出会った人から、ここの国境は厳しいと聞いていましたが、それは本当のことでした。ただ、検査自体は厳しいものの、役人はかなりフレンドリーで嫌な思いはしていません。検査をしながら母国スウェーデンのことや日本のこと、これまでの旅についてたっぷりと話しをして、楽しい時間を過ごせました。何で待たされているのかわからない他の国の国境に比べれば、ここの方が遥かにまともな国境だったと言えるでしょう。無事検査も終了し、ウズベキスタンに入国。次なる目的地はシルクロード上の旧い街ブカラです。国境からスルハンダリヤ州の州都テルメズに向かう道を南西に進み、途中で北西方面へ曲がればブカラに到着します。ただ、正規の道は少し遠回りなので、私は砂漠を横断するルートを取りショートカットすることにしました。砂漠ルートに入った途端、景色はガラリと姿を変え、かつて旅行したアメリカのグランドキャニオンのような景色が広がります。砂漠を走りはじめてまもなく日が傾きはじめ、この荒地でテントを張ることにしました。食事はいつか紹介したパスタのトマトソースあえ。…もう飽き飽きなのですが、テント生活に慣れてくると食事にこだわるのが面倒になってくるものなんです(笑)。ただ食えればいい、という気持ちはこんな旅に慣れた人にはわかってもらえるはず。食事がいくらマズかろうとも、こういったところでは他に楽しみがあります。圧巻の夜空の美しさです。ロシアでもモンゴルでも、そしてここでも、無数の星が夜空に瞬くのを見るのは何時間見ていても飽きません。何も考えず、たたボーっと星空を眺めていました。
翌朝、日が昇って間もなく、笛の音が聞こえて目が覚めました。テントの窓から覗くと羊飼いが羊を追って歩いています。彼もこちらに気づき、テントにやってきました。羊飼いはロシア語も英語も話せず、コミュニケーションに困りましたが、身振り手振りで会話をし、彼の家に朝ごはんをご馳走に行くことに。彼の家は4.5畳ほどの泥と藁が壁に塗り込まれた小さな家です。この辺りはこんな家の建て方が一般的なのでしょうか。家の中に入ると奥さんがパンとお茶を運んできてくれました。茶色の不思議な味の飲み物に羊のミルクを入れて飲むスタイルです。いただいたパンをこのお茶につけて食べるのですが、これはグッドアイデアですね。この地域のパンは非常に硬く、こうやって食べないと歯がたちません(笑)。お茶をしながら彼と話しましたが、相変わらずうまくコミュニケーションは取れません。でも、言葉なんて通じなくてもなんとかなるものです。地図を見せながらこれから行く街のことなど話し、お互い気持ちのいい時間を過ごしました。この先私の旅はまだまだ先が長いことを心配していたのでしょうか、彼は「しばらくここに泊まっていけ」というようなことを私に言ってくれました。見ず知らずの外国人に、暖かいもてなしをしてくれた彼らのことはきっと忘れないでしょう。しばらく休憩させてもらった後に、お礼を言って先に進むことにしました。
魅力ある宗教都市ブカラ
また訪れたい街の1つです
ブカラまではまだ数百キロありましたが、日が暮れる前には何とか街に入ることができました。宿泊するゲストハウスも1500円/1泊ほどのところが見つかり、一安心。最初は「1泊3000円だよ」と言われたのですが、こういった国では値切るのは当たり前のこと。1500円/1泊でももしかしたら相場より高かったかもしれません。でも、こういった交渉は自分が満足できれば得した気分になるもの、最初は面倒だった交渉ごとも今では楽しみの1つになっていますね。ブカラは歴史を辿れば2000年以上前に遡ることができる、中央アジアでもっとも神聖な宗教色の強い街です。街の建築物は、今まで訪れたどの国より不思議なモノが建ち並んでいました。シンプルながら時代を感じさせる建物が街のあちこちにあり、しかもその建物は今も普通に使われているのです。こういった旧い建物は土産物屋さんとして使われていることが多く、建物と店内の雰囲気がマッチしていて、まるで何世紀も前のお店に買い物に来ている気分になりました。店内に並ぶ手作りのカーペットを見ていると、旧ソ連の指導者レーニンが描かれたカーペットもあり、少し驚かされます(笑)。
この街でもっとも印象的だった場所は「ミル・アラブ・メドレセ」、「カラーン・モスクとミナレット」でしょうか。「ミル・アラブ・メドレセ」は宗教学校で一般の人は中に入ることはできませんが、周囲から覗くだけでも充分に楽しませてくれる建物です。「カラーン・モスクとミナレット」のモスクは1万人も収容できるほどの広場を持ち、付属するミナレットは47mの高さがありました。中央アジアではもっとも高い建造物だそうです。ミナレットの中には建物の補修中で中に入ることはできませんでしたが、どちらもこれまでに見たことがない、美しい建造物でした。
この街はじっくり観光できる楽しい街ですが、ここではもう1つやらなければいけないことがありました。久しぶりの散髪です。日本を出るときに頭~ヒゲまでスッキリと剃り上げましたが、旅を続ける間に髪もヒゲもどんどん伸びてきました。伸びる分にはいいのですが、走行中に虫がアゴヒゲの中に飛び込んできて暴れるなど、旅をするにはヒゲは無いほうが楽なんです。髪も散髪するのが面倒で放っておいたので、この際バッサリと剃ってしまうことにしましょう。ブカラは大きな街なのでシェービングクリームが手に入りますし、このチャンスを逃すと次にどこで散髪できるのかわかりません。散髪はハサミで大雑把に切った後に、鏡を見ながら髭剃りでジョリジョリと剃っていくシンプルなやり方。こんな旅でまともな散髪屋さんが見つかることを期待してはいけません。
この章が最終回…サマルカンドが
レポート最後の地になります
ブカラを充分に楽しんだ後は、ブカラ以上に歴史のある街、サマルカンドに向かいます。サマルカンドには数百キロも北東に走らないとたどり着けませんが、この辺りまで来ると道が綺麗なので苦になるものではありません。特別なトラブルもなく、サマルカンドに到着しました。この街に訪れてみた感想ですが、私はブカラの方が面白かった気がします。サマルカンドにも非常に美しい古い建造物があるのですが、その地域の周囲には現代の町並みが広がっており、やや情緒に欠けていました。観光ガイドなどでは「中央アジアで一番つまらない観光地」と書かれていますね(笑)。この街でもっとも有名な観光名所はレギスタン広場です。観光バスがたくさん停まっていて、カメラを2つも3つも持った人が広場をウロウロしていたので、案外人気の観光地のようです。ブカラを見た後だと広場ではそれほど見るべきところはありませんが、ここなりの楽しみ方はありました。この広場には警備員がいて、勝手に建物の中に観光客が入らないように警戒しているのですが、200円ほど支払えば“こっそりと”建物の中に入れてもらえるんです。建物の上から見渡すサマルカンドの街はなかなかの景色なので、お金を払う価値は充分にありました。ただし、こっそりと交渉してくださいね(笑)。
また、この街で宿泊したゲストハウスではキルギスタンで出会った旅人との再会がありました。キルギスタンでSakuraゲストハウスに泊まったときに仲良くなった陽気なイギリス人、Timです。Timはもう何週間もサマルカンドに滞在しているようなので、街のあちこちを案内してもらったり、Timがここで仲良くなった友人たちとお酒を酌み交わしたり、一人で慣行するよりも楽しく過ごすことができました。「ユーラシア大陸横断の旅」と聞くと広いエリアを孤独に旅しているように思えますが、どの街でも旅人が集まる場所はだいたい決まっていて、懐かしい友人や、そのまた友人と出会う機会は案外多いものです。こういった特別な旅で知り合った友人とは、きっと旅が終わった後も連絡を取っていくことでしょう。異国の地で繋がった絆はなかなか切れるものではありませんからね。
追記)
ここまでユーラシア大陸横断レポートを続けてきましたが、ここで皆さんに謝らなければならないことがあります。サマルカンド以降の旅のレポートをお届けできません…旅のスケジュールが押していたため、デンマークの大学の入学準備が間に合わなくなってきていたのです。私はこの先も旅は続け、東欧を走り、無事母国スウェーデンには帰国しました。現在はデンマークの大学院で医学を学んでいるところです。中央アジアを抜けてからのレポートもお届けしたかったのですが…ちょっとのんびりと走り過ぎたようです。中途半端なカタチで終わらせるのはとても残念なのですが、少しでも皆さんに旅の雰囲気が伝われば幸いです。
また、機会があれば世界のどこかの道でお会いしましょう。
これまでありがとうございました。
Erik Andreas Jorn
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35歳。スウェーデン国籍。15歳のときに渡米し、アメリカで医学を学ぶ。大学卒業後に1年間海外を放浪し、その後来日。8年間を日本で過ごした後にR1200GSでのユーラシア大陸横断を企画し、現在は旅の途中。
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