第4回 ハバロフスクへ
- 掲載日/2006年11月16日【ユーラシア大陸横断】
- コラムニスト/Erik Andreas Jorn
ウラジオストックに別れを告げ
ハバロフスクを目指します
お久しぶりです。
今回はウラジオストックを出発してからの私の旅をご紹介するのですが、このコラムを読んでくれている方から質問が届いたようなので、先にお答えしておきましょう。
まずは「ロシアのガソリンの品質は大丈夫なの? 1Lあたりどのくらいの値段なの?」という質問から。ウラジオストックからハバロフスクまでの800kmの走行で、私は3度ガソリンスタンドに入りました。R1200GSにはできるだけいいガソリンを入れて走りたいので、スタンドでは一番品質のいいガソリンを入れています。そのオクタン価はスタンドごとに92、95、98オクタンでした。「ロシアのガソリンは、思ったほど悪くないかな」という感想ですね。ガソリンの値段は日本より少し安いくらい、20L入れて2,000円ほどでした。ロシアは広い国ですので、地域ごとに値段は差があるかもしれません。「もうちょっと安いかな?」と思っていたので、これは少々誤算でした。
2つ目の質問は「ロシアでの宿泊費はどのくらいかかるの?」です。ウラジオストックでは初めは安いホテルに宿泊していましたが、滞在途中からは現地であったバイカーの自宅に泊まらせてもらっていました。無料で泊めてもらった上に、ご飯までご馳走になり、ホテルには数えるほどしか泊まっていません。ですから、宿泊費の相場については確かではありませんが、私が最初に宿泊した安ホテルは1泊700ルーブル(約3,000円)で宿泊できました。ちゃんとシャワーもついていて、まともなホテルでしたよ。
さて、話を旅に戻しましょう。
ついにウラジオストックを出発する時がやってきました。お世話になったSinus が街の外まで案内してくれ、私は北のハバロフスクの方へと走りはじめました。ハバロフスクまでは2、3 日の行程で、どこかに泊まらなければいけませんが、Sinus が友人に電話をかけ道中での宿泊先の面倒までみてくれることに。ウラジオストックとハバロフスクのちょうど中間地点くらいにSinusの友人Denisが住んでいて「今日はそこまで走ってDenisの家に泊まれ。電話してあるから」とSinusは言ってくれました。通りすがりの旅人の私にここまでしてくれるなんて…Sinusとの出会いは忘れられないものとなりましたよ。これから向かうDenisは父親と「Shell」のガソリンスタンドを経営しており、閉店までにそこまで走りお世話になる予定でした。ただ、道中の道路状況が予想以上に酷く、スピードを出せません。結局、Denisに伝えていた待ち合わせ時間には大幅に遅れてしまいました…。
お店に着いたときには、とっくに閉店時間を過ぎ深夜を回っていましたが、Denisは遅くまで私を待っていてくれていました! ほとんど英語を話せないDenisとは、ロシア語のフレーズブックとハンドサインで何とかコミュニケーションが取れました。ガソリンスタンドのフロアーで一晩寝かせてもらったあと、翌日にはDenisの父親や彼の友人と会い、ここでもフレンドリーなロシア人に歓迎を受けます。「もう一晩泊まっていけよ」、「あと数日いて、この街を楽しんでいきなよ」と口々に誘われましたが、すでに予定より遅れ気味の旅ですから、私は行かなければなりません。新たな出会いに感謝しつつ、名残を惜しみながらハバロフスクまで走ることに。しかし、この辺りの道路は酷いですね。時には時速100km以上で飛ばせる舗装の綺麗な道があるのですが、こちらの道は突然悪くなります。何の標識も警告もなく、いきなり道路が小石だらけになったり、そのまま突っ込むと危険なほどの穴が開いていたりすることもありました。もし皆さんがこの道を走ることがあるなら、くれぐれも注意しながらゆっくり走ることをお勧めします。
たまにある快走路を飛ばすと
ロシア警察に停められました…
ハバロフスクに向かう道すがら、Dimaというバイカーとの出会いがありました。R1200GSで走っている私の隣に、カワサキのNinjaで並んできて挨拶をくれたのがはじまりです。停まって話を聞くと、彼は「Khabarovsk Lynx」というハバロフスクのバイククラブのメンバーのようです。英語がほとんど話せない彼と何とかコミュニケーションを取ってみると、どうやら私をクラブハウスに招待してくれるとのこと。またしても素晴らしい出会いがありそうです。
彼の後についてハバロフスクまで走りはじめましたが、Dimaは狂ったように飛ばして走るバイカーでした。少々悪い道でもドンドン飛ばして走り、荷物満載の私のバイクでは着いていくのがやっとです。知らない地方でのツーリングなので注意しながらDimaに着いて走っていましたが、下りで見通しがよく路面も綺麗な道に差し掛かったとき「飛ばせるぞ」と私は思わずスロットルを開けてしまったのです。気持ちよく飛ばしていたら…突然道路わきの茂みから警官が飛び出してきて、停止を求められます。警官にレーダーガンを見せられ、そこに表示している数字は何と「149km!」。制限速度は80kmの道だそうです…。口早に何かを言われましたが、ロシア語はさっぱり理解できません。パスポートなど書類のチェックを受け「免許を取り上げられたらどうしよう」と心配していると、Dimaが横から警官に何かを話してくれています。しばらく警官と話した後に「行こう。もう大丈夫だ」と身振り手振りで伝えてきました。どうやら警官にうまく口を利いてくれたようです、ありがとうDima! 長い旅なのでスピード違反には気をつけないとですね。
Khabarovsk Lynxのメンバーに
助けられた2日間
警官に停められてから数時間後、ハバロフスク市内の彼らのクラブハウスに着きました。小さなゲストハウスでしたが、キッチンやお風呂まで揃っていて、そのまま住めるほど何もかもが揃っています。そこで彼は仲間たちを紹介してくれました。ウラジオストックに続き、この街でもバイカー達はフレンドリーです。少しだけ英語を話せるメンバーもいるようで、彼らと一緒にディナーを取りに出かることに。食後に、何度もウォッカで乾杯をするうちに言葉の壁などどこかへ行ってしまい、この日も最高の夜が過ごせました。ウォッカ万歳! クラブハウスに泊まらせてもらい翌朝出発する予定でしたが、起きてみると雨がしんしんと降り続いています。「雨で路面が悪くなるから、もう一晩泊まっていきなよ」と言われ、ここは素直に従うことにしました。せっかくなので、貯まっていた洗濯物を片付けようと、洗濯できるところを探しましたがなかなか見つかりません。洗濯に私が困っているとメンバーが知るや、メンバーの奥さんが汚れた服の洗濯をしてくれ、綺麗に畳んで持ってきてくれました。洗いたての洗濯物はいい香りがし、今自分が旅の途中だということを忘れてしまいそうです。洗い立ての服の香りにこれほど感動したのは、もしかすると初めてかもしれません(笑)。旅をしていると、これまでは気にならなかった些細なことに一喜一憂してしまう私がいます。この日の夜は「Khabarovsk Lynx」のメンバーや家族が集まり、私のためにBBQパーティーを開いてくれました。昨晩に続き、ウォッカパーティです。同じバイカーという親近感なのか、旅人に優しい国なのか、見知らぬ旅人である私をこれほど歓迎してくれるとは思いませんでした。
翌日、早朝から「Khabarovsk Lynx」のメンバーと街の博物館に行ってきました。日本を発つ前から、この街にある博物館には行ってみたいと思っていたのです。外国人の入館料は現地の人の3倍もし、カメラを持ち込むのにも別料金を取られるようです。そこはメンバーがうまく誤魔化してくれて、ロシア人料金で入館できました(笑)。この博物館は『The revolution(ロシア革命)』や『The Great Patriotic War(第二次世界大戦)』の資料が豊富で、女性のガイドが当時のポスターなどの資料を案内してくれます。腐敗した資本主義者に立ち向かうロシア兵が描かれたポスターなど、私がこれまでに学んできたこととは違う歴史を見ることができました。これまでスカンジナビアやアメリカ、日本に住み、その国から見た世界史を学んできましたが、ロシアから見た世界史はまた違っています。このように別視点から歴史を見直してみるのは非常に貴重な経験ですね。博物館でしばらく過ごしたあと、案内をしてくれたメンバーと昼食を取り、また次の目的地へと走りだすことにしました。
次なる目的地は中国との国境にほど近い街、ベラゴルスクです。ハバロフスクからは太陽の沈む方に向かい、西へ西へと走ります。次の街でもまたよき出会いが待っているのでしょうか。
35歳。スウェーデン国籍。15歳のときに渡米し、アメリカで医学を学ぶ。大学卒業後に1年間海外を放浪し、その後来日。8年間を日本で過ごした後にR1200GSでのユーラシア大陸横断を企画し、現在は旅の途中。
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